日本霊異記
2012 / 09 / 06 ( Thu ) 19:32:14
日本霊異記(全三巻) 講談社学術文庫

感想

 上巻は古代的な物語としてのおおらかな想像力が面白く、中巻や下巻となると完全に仏教説話集となってきてまた別の面白さがある。日本最古の仏教説話集らしく、神話的物語の特徴と明快な因果応報の物語としての特徴を兼ね揃えている。
 なによりも目を引くのが、仏教のあり方である。中巻・下巻を読んでいるといやでも伝わってくるものがある。
 仏教絶対主義といえるほど、あらゆるものに対する仏教の優越性が説かれている。たとえば法師を打ったり、間違いを指摘したりすると問答無用で仏罰が下る。仏教教団が利権集団であるということは前々から理解していたが、それ以上に他に対する優越性を持った権利集団であったことには驚いた。
仏教の正当性・優越性がまず先にあって、そのためには教義さえも捻じ曲げられてしまうきらいさえある。さらに、僧は社会的に搾取者であるという立場の認識さえなく、自らの立場・教義に対する批判的態度がきちんと形成されていないのではないか。
 先ほど利権集団と書いたのは、仏教教団は国家の保護を受けて税などの面からかなりの富を蓄えることができた面などを指す。古代国家において、私度僧などは求道心よりも国家の支配(徴税など)から離脱することが目的であることが多いし、それは行基の教団に集まった数千人の人間も同様である(もっとも、古代国家においては国家仏教であったから、仏教それ自体は強い管理下に置かれていた)。行基の教団が、行基の大僧正任命とともに急速に廃れていくのは、大僧正任命が教団を国家の支配下に置くことも意味したからである。もっとも、このあたりの歴史認識は間違っているかもしれないのだけれども。
 もう少し、作品の内容について述べると、先ほども書いた明快な因果応報の原理が興味深い。今昔物語や宇治拾遺などの仏教説話は因果応報ではあるものの、信仰の物語としての要素が大きい。しかし、霊異記では仏教の因果応報の原理は、信仰の有無にかかわらず世界全体を貫いているという印象が強い。そのためか、賞罰が容赦ないように思われる。
 それにしても、仏教説話を読んでいていつも思うのは、悪いことをした人が罰せられるのはよくわかるのだけれども、その罰に巻き込まれて不運をこうむった人も悪いことをしたからひどい目に合うのだろうか。そうじゃなかった、何か割に合わないなあと思う。殺生戒として肉を食べてはいけないというのもあるけど、植物は命として認識していないのもどうかと思う。
 とにかく、仏教説話としての面白さもあるけれども、仏教の思想を感じ取るにもいい作品だと思った。ちなみに正式名は日本国現報善悪霊異記らしい。

以下、気になった話の感想・メモ。ほぼ自分用。
上巻

31話
 特に貧しいとも書かれていない東人が普通に修行して、いつも「銅銭一万貫、白米一万石、顔の良き女などをたっぷり与えよ」と唱えると、それが叶う話。富豪の娘が病気になっており、東人が祈祷すると治ってしまい、しかも女の人に惚れられたため、結婚し財産も手に入る。しかも、女の人がまた病にかかると、兄に彼の娘を東人の嫁にしてと頼み、それが聞き入れられ東人はさらに財産も手に入れるという。いくら現世利益といえどもほどがあると思った。

中巻

1話
 長屋王が不信心だったために、結果として失脚した話。長屋王って確かかなりの写経とかをさせていて、実際は篤く仏教を信仰していたように思うんだけども。

2話
 前半部分で、オスの烏が餌を探しに行っている間、メスの烏が他のオスと情を通じ、そのまま他のオスと子供を見捨ててどこかへ行ってしまう。戻ってきたオスの烏はメスがいないことを悟ると雛鳥がかわいくてそのまま抱きかかえて、一緒に餓死してしまう。描写は簡潔ながらも妙に切ない。後半で子供が「ああ、母の甘き乳を捨てて、我死なむか」というのもまた切ない

3話
 息子が妻への愛情があまりにも強く、親を殺そうとしたため、報いとして死んでしまう。信心深い母親はなんとか助けたいと思っていたが、それもかなわない。嘆き悲しむ母親の姿が強く描かれて印象的だが、信心深い母親は本当に報われたといえるのか。もしその報いが子供から殺される寸前で助かったことなら、つらい。

4話
 上巻で出てきた雷が与えた子供と、狐と人間の間の子供との力比べの話。後者の話の方がよくできていたし、エピソードも情け深いというのに悪役を割り当てられていたのが残念。

5話
 中国の神にそそのかされて牛を殺したが、その報いを受ける話。中国の宗教世界さえ飲み込んでしまうところに、仏教の他に対する優越感がのぞかれる。

22話
 現代語訳で、『涅槃経』十二巻の中で、仏が、「わたしの心は仏法を最も重んじている。だから、バラモン教徒が大乗仏教の教えを悪く言うのを耳にすれば、その者の生命を断つであろう。こんなわけだから、将来、仏法を悪くいうものを殺しても地獄に落ちないであろう」とお説きになっているとおりである。また同じ経の三十三巻に「何の善果となるものもなく、成仏できないものは永久に滅ぼそう。だから、この仏の教えの理由ゆえに、蟻を殺してさえも殺生の罪を蒙るが、しかし、成仏できない者を殺しても、それは殺生の罪にはならない」とある。相変わらずの優越感であるが、仏は大乗仏教とはかかわりがなかったような気がするんだけど。

25話
 閻魔大王の使いの鬼が賄賂により、同姓同名の別の人間を地獄へ連れて行く。しかし、嘘が発覚して本来連れて行かれるべき人も地獄へと連れて行かれる。罪のなかった方の人間は地上へと返してもらえることになったが、自分の本来の体はすでに火葬されていたため、まだ火葬されていない本当の罪人の体に魂が入って生き返った。仏教における身体とはどういうものであるかというのが興味深い。仏像なんかは一晩で勝手に修復されるのだから。

30話
 行基が説法中、泣きわめいて邪魔をする子供を母親に殺せという。実は子供は昔母親に金を貸していた人で、死んだために返済がまだされていなかったから、子供として生まれ変わり養われることで返済を受けていた。おそらくは、返済が過剰になっていたのだろうけれども、なんかすっきりしない。

33話
 特に何の悪事も示されていない生娘が、たくさんの宝を持った男の求婚になびいて初夜を迎えるが、翌朝親が様子ををのぞくと鬼に食われていたという。生々しい話だった。

35話
 法師が王に打たれた。王は仏罰で体が痛み、法師に助けを求めるが「千たび痛め、万たび痛め」と言う。もちろん、法師にはなんの罰もくだらなかった。もちろん法師は耐えなければならない存在なのに、逆にあそこまで言ってお咎めなしというのもすごい。

下巻

1話
 信心深い僧が舌以外みんな骨になっても法華経を唱え続けるというすごい話。

4話
 金貸しをしている僧が、元金は返済されたものの一年で元金と同額になった利子が返済されなかったため、そんな力もないであろうに無理に返済を迫ったため逆に殺されそうになったが無事だった。一方殺そうとした者も死なずに健在だったため、注目される。僧が借りていた人間の悪事を言わなかったというところで、霊験と僧の器の大きさが描かれている。

6話
 師の僧が魚が食べたいといって弟子に買いに行かせる。もちろん殺生戒のある僧は魚なんて食べてはいけなくて、弟子が魚を買ったのを人は見咎める。しかし、その人が籠の中にいる魚を見ようとすると法華経に代わっていた。いくら信心深くても、戒律を破ろうとした人をどうして守ろうとするのだろうか。体面を取り繕おうとするように感じられていやだ。

20話
 現代語訳で、(法華経に)「『法華経』を守り、仕えている者を見て、その過ちをあばき立てると、それがほんとうであろうと、嘘であろうと、この人はこの世で白なまずという皮膚の病にかかるだろう」と記されている、とあるのだけれども、ここもやっぱり優越性。

24話
 僧の従者がたくさんいたが、彼らが農業を怠ったため食糧難になった。そのため僧がたくさんの従者を持つこと禁じ、僧の修業を邪魔したという理由で仏罰が下って猿になったという。僧が搾取者であるという視点が欠けているように思われる。

26話
 十倍や百倍の利子を請求したり升目を偽ったものが仏罰を食らう。下巻4話と比べると印象的だが、当時あのくらいの利子の請求は妥当だったのだろう。

33話
 現代語訳に、(十輪経に)「仏道に入ったものの過失を論ずることは、たとえそのものが戒めを破っていようと守っていようと、また戒めがあってもなくても、またまた過ちがあろうとなかろうと、とにかくその論者は万億の仏身から血を出す以上の過失になる」(十輪経の注釈書に)「僧の過失を説くと、多くの人の信仰をこわし、迷いの心を生み、仏道を妨げることになる。このようなわけで、菩薩は僧の徳を探し出すことを喜び、僧の過ちを探し出すことを願わないのである」というなんともひどい隠蔽体質。さらに、(像法決疑経に)「これより後、世俗の役人は、僧から税を徴収してはいけない。もし税を取り立てるものがいたら、そのものが受ける罪ははかり知れないだろう。すべて世俗の人々は寺院に属している牛馬に乗ってはいけない。寺院の召使いや家畜を打ってはいけない。また仏法に使えるものの礼拝を受けてはならない。もしこれらを犯す者がいたら、咎めを受けるだろう」本当に権利集団的な。しかもこの両方とも、僧というのは私度僧も含んでいるからたちが悪い。

38話
 道教が孝謙天皇と情を通じたと明示しているのに、お咎めがない(さらに注目すべきは、かなりの政治権力を握ったとも書かれている)。一方で下巻18話では、写経師が急に強い色欲を起こして依頼主の女の人に強引に契りを結び、結果二人とも死んだという。これも割に合わない。他にも中巻13話で吉祥天女像に強く恋をした僧が夢で吉祥天女像と契りを結ぶのもあったが、これもお咎めなし。

39話
 桓武天皇が寂仙菩薩という僧の生まれ変わりという、これまた仏教の政治介入ではないか。
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