1950年のバックトス
2012 / 10 / 05 ( Fri ) 06:56:27
1950年のバックトス 北村薫 新潮文庫

 北村さんらしい綺麗な落ちや、背筋がひやりとするような怖い話、不気味な目線や奇妙な話など、実に色とりどりな短編集。文章が本当に端正で、しかも一つ一つの作品が驚くくらい雰囲気が違うのだからびっくりする。妙にばかばかしく笑ってしまうような話だってある。あんまりにもいろんな話があるものだから、読んでいる側としては落ち着かないくらいだ。
 それと、どことなく歯車がかみ合わないようなそんな奇妙な話と、登場人物の目線が強いような印象も受けた。前者は、その歪みをうまくまとめ上げているからこそ感じるのだろう。後者は昔町や眼が顕著である。
 中でも小正月が一番好きだ。作者の非常に温かな目線がそこにある。少し引いてみる。

 ――幼い、可愛らしい少女が、まさに柿の木の精のように、庭に立っている。そして、誓うのだ。
「……なります。なります」
 祖父母や、父、母が、その様子を温かく見守っている。そのころの子供は、下駄を履いていたのだろうか、セーターにスカートというより着物が普通だったのだろうか。
(中略)
 子が、木の精の代理になる時、実りのイメージは、言葉を口にする当人のそれと、二重写しになるように思えた。
 ……わたしは、つつがなく成長します。見守っていて下さい。お父さん、お母さん、私に繋がる現世の、そしてて過去のみなさん……。

 「なります」というのは、柿の木の精が来年も実は「生ります」という意味なのだけれども、「成ります」といいう意味もある。音の響きの美しさと温かな目線が調和していて、本当にいいなあと思う。うまく言葉にできないのがもどかしい。

他にも気になった話を何点か。

 百物語はどこか孵化していくようなそんな印象。暗いところを覗き込むような、あいまいな見えない不安というような、そんな緊張感と雰囲気が好きだ。
 包丁もすごく好きな話だ。失われつつある生活の知恵のようなものが鮮やかに再現されているだけではなくて、包丁に対する義母と三津子の思いがよく書かれている。特に最後のシーンは、本当に背筋が凍る思いだった。
 昔町はなんてことのない話だけれども、ちょっとした発想が妙に頭に残っていて、目線としては眼のほうが印象が強い。
 表題作の1950年のバックトスは、どこかリセットを連想させるような運命的な再会の話で、綺麗だけれどもちょっと物足りないかな。
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