わたしと先生の幻獣診療録(感想)
2017 / 05 / 14 ( Sun ) 20:19:13
火事屋『わたしと先生の幻獣診療録』(コミックガーデン/マッグガーデン)

『わたしと先生の幻獣診療録』感想――魔術の残る世界で――

1.はじめに

 マッグガーデンといえば私のいちばん大好きな出版社で、『タビと道づれ』『スケッチブック』『ほしのうえでめぐる』『京洛れぎおん』『戦国妖狐』など私の中のビッグタイトルが燦々と煌めいている会社でもあります。私は『タビと道づれ』の終了間際(あるいは『あまんちゅ!』の連載開始当初)から雑誌を読み始めて、お気に入りの作品が続々終わってしまって少し切ないというのが最近のマッグガーデンへの感覚でした。
 そんな折についに始まったのが『わたしと先生の幻獣診療録』でした。まさに読みたいマッグガーデンの作品だったのですよ。上手い言葉が出てこないのですが、『タビと道づれ』や『ARIA』などのリリカルさを感じさせられて、胸に迫るような。そういう系統が雑誌自体に意識されていた(ように見えた)頃もありましたよね、とか。とにかく、こういう作品が好み過ぎて、それがマッグガーデンで読めたのが嬉しくてしょうがないのです。

2.作品梗概

これは人々がまじないの術を忘れ
幻の生き物たちは消えゆき
そして科学の光が世界を照らし始めた頃の物語―…
(第一録より)

 作品冒頭で描かれるのは、こんな世界観です。魔術や幻獣は「信じてない奴には効かない、見えないしわからない…」けれども確かに存在する、街灯なんてものが出来はじめた時代です。そんな中で、主人公の少女ツィスカは魔術師の家系に生まれましたが、若い獣医師ニコのもとで働いていました。
 物語の冒頭では、ツィスカはニコが魔術を信じていないと思っており、どうせニコにはこの幻獣は見えないだろうと、彼女はひとりで偶然見つけた手負いの幻獣を治そうとしていました。しかしながら、まだまだ未熟のツィスカの腕では幻獣はとても治せず、重篤化してしまいました。ある日、近頃様子がおかしいとツィスカの跡をつけたニコは傷ついた幻獣を見つけ、その治療を行いました。以来、ツィスカとニコはひょんなところで出会った幻獣たちの治療をしていくのです。

3.魔術の残る世界で

魔術でなんでも解決するならいいけどな
ヴァイデに含まれる成分はサリシンと云って、これには鎮痛作用があることがわかってる
お前もよく『痛みに効く魔術』と云って触媒に使っているだろう?
元は同じなんだよ
だけど科学は『痛み』に効く成分は『サリシン』であると概念を固定しちまった
文明の進歩が魔術や神秘の存在する余地を消しつつあるんだ
(第一録より)

 この作品の魅力のひとつとして、魔術と科学の融合された世界観を挙げたいのです(なおこのブログでは魔術と科学の定義について考えるのは本意ではありません)。「信じてない奴には効かない」魔術も、それを駆逐しつつある科学も、どちらもきちんと価値のあるものとして描かれているのです。科学は「『誰がやっても』同じ結果を得られる」からこその意義があるのに対し、幻獣の生命力の回復に魔術という領域が用いられます。あるいは、変温動物としての特性を持つ幻獣の治療に熱のない光が必要となり、それを魔術で生み出します。魔術と科学が融合した医療が行われていくのが、本作の特徴です。
 これを担っているのは、ツィスカの師ニコです。「命を救うのにより確かな方法を求めるのは道理だろ」((第一録)という言葉は、魔術ではなく科学の意義を説く場面での彼の言葉です。この言葉は、ニコの治療の中では、魔術でも科学でもなんでも用いてベストを尽くすという形として現れるのです。それ故、ニコは幻獣の治療は祝福のまじないの彫られたメスを用いる「魔術的」なことだってするのです。もちろん彼のベースは科学的な医術なのですが、幻獣というファンタジーが相手だからこそその枠に収まりきらない、そのバランスが非常に巧みなのです。
 一方でツィスカは魔術の担い手な訳ですが、当初は魔術一辺倒だった彼女も、やがては科学的な考えを身に付けます。第2巻収録予定の第七録では、においが物質であるという事を利用して、においを用いた魔術を用います。この時、ニコは「本当に足しでいいんだ」と自分の治療に加え魔術を求めるのですから、ふたりが互いを必要としている感じが出ています。

4.物語に生きる幻獣

 魔術と科学のあわいの中で、幻獣というファンタジーの存在も無視できないファクターです。カーバンクルやサラマンダーみたいな幻獣が出てくるだけで胸躍ります。そしてその幻獣と神話のリンクがまた見事なのです。たとえば第一録のリンドヴルムは、流星の正体として登場します。この幻獣を治療し自然に返すことで流星の瞬く幻想的な世界が現れます。外科手術という科学的な治療から、物語は神話の舞台へと転換するのです。この、現実から神話へと世界のバランスが動いていく、そういったダイナミズムもまた魅力なのです。
 そしてこの幻獣もまたリリカル/ファンタジーの画面の美しさであり、ストーリーの楽しみにもなります。幻獣の生態を私たちはおそらく知らないわけで、そんな未知の、あるいは名前くらいしか知らない生き物の生態を深める楽しみがあります。しかも、第三録のヴォルパーティンガーに対しては、病を進行させることで救うというように、意外な展開だってあります。

5.ツィスカの成長

 もちろん、ツィスカの獣医としての成長も王道として作品の中心をなしています。第1話では、知識も技術もないのにひとりでリンドヴルムを治療しようとして、うまくいきませんでした。その時に、未熟なのにどうして師であるニコを頼らなかったのかと批判されますが、それが第5話ではきちんとニコに助けを求めます。その上で、自分の持てるものを総動員し、幻獣の応急手当てに成功します。
 あるいは、ヴァルパーティンガーを引き取った際には、病で苦しむ動物に対しての治療の是非を問われます。苦しむ動物に勝手に身体をいじるということ、人間の都合で生き物の命を扱うことを。そんな問題に初めて触れ、理解をした上でツィスカは治療にあたります。
 こういったものはおそらく定番と言っても差し支えはないのでしょう。ただ、これが定番としてあるのは、その種の作品にとって極めて重要なテーマだからであり、向き合うべきものとしてあるからなのでしょう。同じようにこの作品も向き合うべきものにきちんと向き合っている、そんな安心して読むことができるというのも作品の力でしょう。
 ツィスカの成長という点でもう一つ挙げるならば、魔術師としての成長でしょう。本作の治療は、概ね科学的な医療といえます。その中で、ツィスカは魔術師という立場に拠りつつニコと共に治療にあたります。その中で、においは化学物質であり呼吸をしている限りにおいは届くという科学的知識に基づいてにおいを用いた魔術を使用したように、魔術師としてどう変わっていくかも見どころです。あるいは、第三録のように、覚悟の中でいつもとは違う魔術を使ったり、第四録のようい新しい魔術を考えようとするなど、魔術師として医療にあたることは、この作品の独自の魅力になるかもしれません。

6.おわりに

 魔術と科学は異なるものでありまた同根でもある。そんな曖昧な世界観の中で、魔術と科学が融合し、幻獣の治療が行われていく。それも、ある種の伝統的なファンタジーの画面の中で。リリカルさを目一杯讃えながらも、美しい世界や厳しい世界を描き出す、とても瑞々しい作品でした。とても読みたかった作品に出会えて私は幸せです。

7.おまけ

twitterに書いた感想を置いておきます。ブログで書いたこととそんな変わりません。

 火事屋先生『わたしと先生の幻獣診療録』第1巻、掲載元で読んでましたけど、最高の最高でした。科学による医療が確立し始めた時代で、 魔法による医療を行う中でのバランスがとにかくうまいんですよね。魔法と科学どちらも価値があって魅力的という。熱のない明かりを魔法に求めたりとか。
 医療の中で先生(科学寄り)と私(魔法寄り)を組み合わせると同時に、患者も幻獣というファンタジーを用いているので、外科的手術が多かったりなのにファンタジーとリアルがここでもファンタジー寄りで綺麗にバランス取れてて雰囲気が良いんですよね。
 悲壮的にならずそれでも少女が一生懸命命と向き合い時には覚悟だって決めるその作風だとか、一歩一歩失敗しながら医療者として前に進んでいくところとか、様々な幻獣の現れる世界観だとか、先生と少女のひたむきさとか、本当にマッグガーデンで読みたかった作品だって感じなのですよ!!


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